

それは本当に偶然だった。
仕事帰りに立ち寄った駅前のカフェ。
少し疲れた体を癒すためにコーヒーを頼み、席を探そうとしたとき、視界の端に懐かしい顔が映った。
「……〇〇くん?」
思わず声をかけると、彼が驚いたようにこちらを振り返った。
一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑顔になり、
「え、□□? うわ、久しぶり!」
十数年ぶりに見る笑顔。
記憶の中の彼よりも少し大人びていて、それでいて変わらない優しさを感じさせる表情だった。
彼は学生時代、同じクラスだった。
一番仲が良いわけではなかったけれど、席が近かった時期はよく話した。
忘れ物をしたときにノートを貸してくれたり、体育祭の準備で一緒に汗を流したり。
淡い記憶の中の彼は、少し不器用で、でも真面目で、誰に対しても誠実な人。
その頃の私は、彼のそういう部分に安心感を覚えていた。
だけど、恋愛対象として考えたことは一度もなかった。
ただの「同級生」であり「友達」だったはず。
――なのに、今。
目の前に座る彼を見ていると、胸の奥がざわつく。
「今、どんな仕事してるの?」
「そっちは?」
会話は自然に始まり、次から次へと広がっていった。
学生時代の思い出を笑い合い、互いの近況を話し合う。
ふと気づけば、コーヒーはすっかり冷めていた。
それほどまでに会話が弾むなんて、自分でも驚きだった。
彼は昔よりもずっと落ち着いた雰囲気を纏っていた。
少し低くなった声。言葉の選び方。
そして何より――視線。
目が合うと、逸らさない。
真剣に、まっすぐにこちらを見ている。
その眼差しに気づいた瞬間、頬がじわっと熱くなった。
(え、これって……ただの友達を見る目じゃない?)
昔は意識したこともなかったのに。
今の私は、彼に見つめられるたびに落ち着かなくなる。
彼が何気なく「昔から変わらないな」なんて言うから、ますます動揺した。
「そうかな? でも〇〇くんのほうが変わったよ」
そう返した声が、少し上ずっていた気がする。
笑顔で答えながらも、頭の中はぐるぐるしていた。
(女として見られている…? 私なんか、そういう対象になるの?)
(でも、もしそうなら……嫌じゃないかも)
心の奥底からこみ上げてくる、言葉にできない感情。
恥ずかしくて仕方ないのに、どこか心地よくもある。
会話の合間にふと沈黙が訪れたとき、彼の視線が私の口元に落ちた気がした。
「ねえ、何?」と笑ってごまかしたけれど、胸の鼓動は速まるばかり。
もしあの瞬間、彼がもっと近づいてきたら――
そんな想像がよぎってしまい、慌ててコーヒーカップを持ち上げた。
(やだ、私、何考えてるの…!)
夕暮れが近づき、そろそろ帰らなきゃと席を立った。
「また会えたらいいな」
彼の言葉に、胸が跳ねた。
「うん、そうだね」
そう答えるのが精一杯だった。
友達のはずなのに。
ただ再会しただけのはずなのに。
女として見られているかもしれない――そう感じただけで、こんなにも揺さぶられてしまうなんて。
帰り道、スマホを握りしめながら頬を赤らめる。
(もし次に会ったら、どんな風に話せばいいんだろう…)
(彼は、私をどう見てるんだろう…)
羞恥と期待と、少しの妄想。
すべてを胸の奥にしまい込みながら、私は一人で笑ってしまった。