

私は藤井 玲奈(ふじい れいな)。
34歳、都内の外資系マーケティング企業で働くキャリアウーマン。
既婚、子どもなし。夫は同じ業界の営業部長で、今は地方拠点に単身赴任中。
──表向きは、何の問題もない。
仕事も順調。
経済的にも自立している。
結婚生活だって、表面上は円満に見える。
でも本当は、
欲望の火種を、自分の中に抱えていた。
その夜、同僚の後輩に誘われて参加したのが、
「大人の女性限定」のギャラ飲みだった。
最初は、ただの食事会だと思っていた。
だけど、テーブルを囲む男性たちは、いかにも金と権力を匂わせる空気をまとっていた。
中でも異彩を放っていたのが──
小太りで年配の男性、黒川(くろかわ)社長だった。
ブランド物に身を包み、ネクタイはゆるく、下腹を突き出すように座っている。
でも目だけは鋭く、私たち女の表情を一瞬で読み取っていた。
「玲奈さんって、外資でしょ? 絶対、男を手のひらで転がしてるタイプだよね」
いきなり名前を呼ばれ、面食らった。
「……そんなこと、ありませんよ。私は仕事に集中してるだけです」
「そういう“自分を律してます感”が、男から見たら一番そそるんだよ」
──気づいたときには、視線が身体をなめるように這っていた。
その夜、彼から個別に声をかけられた。
「ねえ、このあと、軽く一杯だけどう? ちゃんとタクシー代も出すし、もちろん“気持ち”も渡す」
「……結婚してるんです」
そう答えた私に、黒川は笑いながら言った。
「それがいいんだよ。人妻って、縛られてるようで、実は一番欲しがってるから。
“この程度ならバレない”って、自分に言い訳して、最後まで堕ちるんだ」
喉の奥がかすかに震えた。
この男は、
“理性が崩れる瞬間”を何百回も見てきたんだ。
私が黙っていると、黒川は小さな名刺を差し出した。
「気が向いたら、連絡ちょうだい」
そう言って、去っていった。
名刺には、会社のロゴと、直通の番号だけが印字されていた。
夫の不在。
冷めきった夫婦生活。
ベッドの隣は、空いたまま。
仕事が忙しいと言いながら、
どこか満たされない日常に、私は少しずつ苛立ちを覚えていた。
ふと、テーブルの上に置かれた名刺に目がいく。
「……気が向いたら、か」
そんな自分の中の声に従うように、スマホを手に取った。
──"今夜、お時間ありますか?"
数秒後に、返信が届いた。
「今から迎えに行く。ドレスコードは“抜け感”で」
黒川の運転手付きの車は、深夜の東京をゆっくりと走った。
静まり返る都心の灯り。
無言のまま揺られながら、
自分でも、どこへ向かっているのか分からなかった。
着いたのは、会員制のバー。
黒川は私を連れて、奥の個室へと案内した。
ワインが注がれ、軽く乾杯したあと──
彼の指が、私の膝に触れた。
「意外と……男に甘えたくて仕方ないタイプだと思ってた」
「……そんなことないです」
「じゃあさ、試してみようか? 自分がどこまで“崩れる”のか」
耳元に囁かれたその瞬間、
背中にゾクリとしたものが走った。
ワイングラスがテーブルに置かれた音。
それが、合図だったかのように──
彼の手が、私の背中へ回り、ブラウスのボタンを一つ外す。
「拒まないんだ?」
「……バレなければ、罪じゃないですから」
自分で言ったその言葉に、どこかでほっとしている自分がいた。
ソファに押し倒され、
唇が首筋を這い、太ももがスカート越しに開かれていく。
正直、黒川の体型は私のタイプではない。
でも、支配される快感と、背徳のスリルが、私を突き動かしていた。
「……人妻が、こんなに感じてる。
やっぱり“我慢”してる女は、いいな」
その言葉が、私の奥の何かを壊した。
その夜、私は“玲奈”ではなかった。
藤井玲奈・34歳・既婚・キャリアウーマン。
そのすべてを一度脱ぎ捨てて、ただ一人の“女”として、男に抱かれた。
帰りの車内、
車窓に映る自分の表情は、どこか満たされたように見えた。
そしてスマホには、黒川からの一言が。
「また、喉が渇いたら連絡しておいで」
──喉が渇いているのは、きっと心の方だった。
私はそのメッセージを、そっと保存して、スマホを伏せた。